昭和初期の軍国化の時代にも、軽音楽を知るインテリ達がいた。
タンゴやジャズ、ブルース、ラテン音楽を知る彼らは”軍事教練、体育行事等の応援の為”として中央大学講堂地下室に”中央大学音楽研究会練習場”を獲得した。時まさに昭和17年(1942年)ミッドウエー海戦惨敗等、暗雲立ち込める嵐の時代であった。
結成された音研楽団は野外に強いラッパ鼓隊、しかし地下練習場ではドイツ周りで入ってきたタンゴ”碧空(あおぞら)”やジャズ”会議は踊る”などを研究していたのだ。 |
昭和20年(1945)の敗戦で日本文化の激変が始まった。
日本を占領した米軍は各都市で、毎晩大音量でダンスパーティーが出来るバンドを探したが焼け野原の東京にはプロバンドも楽器も住む家さえなくなっていた。東京の伝統校、特に戦災を免れた神田の中央大学講堂地下の”音研練習場”には太鼓、ラッパ、ギター、アコーディオン等が温存され、寄せ集めの学生プロタンゴ、ハワイアン、ウエスタン、ジャズバンドが巷に散っていったのである。
”依頼演奏”はどんどん増加し何処のバンドも大忙し、ジャズオーケストラでは早大が”ハイソ”の前身、慶大が”ライト”の前身そして中大では”スウィングクリスタル”の前身”ニュースワン”が内幸町のNHK放送局にまで進出して大活躍した。 |
六大学ビッグバンド連盟他:
中央大学スウィングクリスタルオーケストラ 慶應
義塾大学ライトミュージックソサエティ 早稲田大学ハイソサエティオーケストラ 法政大学ニューオレンジスウィングオーケス
トラ 明治大学ビッグサウンズソサエティオーケストラ 日本大学リズムソサエティオーケストラ 法政大学New Orange Swing Orchestra
中央大学吹奏楽部、スウィングクリスタル
夏休み全国演奏旅行へ
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